お久しぶりです。ぬりかべです。
大変永らくお待たせしました。先月参加した105キロウォークの見聞録です。
しかしその前に。注意して頂きたい点が3つ。
@例によっていつもの文章と書き方が違うのでご了承願います。
A結構な長文になりましたので事前にトイレを済ませておくことをお勧めします。
Bもし、仕事中にこっそり見ている方がいましたら背後に気をつけましょう。
上司に見つかってもその損害は保障しかねます(笑
それでは↓よりお読みくださいませ。
・第1歩 105キロは突然に
「連休は出てこんぞ。」
突然の課長の休み宣言。
大仕事を前に誰もが驚く。
それは連休前日の残業中のお話。
本来ならば再来週の大きな仕事のため、連休返上でとりかかるはずあった。が。
課内の中で連休が休みになるかもしれないという噂を聞き、
ひとりが勇気を持って課長に聞いてみたのだ。
「なんだ。おまえらは出てくるのか?」
そんな重要なことは早く言って欲しい。
とゆうのも明日開催される105キロウォーキングを8割方あきらめており、
なんの準備もしていなかったからだ。
時刻はすでに夜の8時。
それでも参加できないよりはマシである。
9時に家にかえり着くと急いでたまった家の家事と105キロの準備を済ませつつ、
佐世保の従姉妹に泊めてもらうようお願いし、村を10時出発。
夜中の九州道を走りぬき佐世保に着いたのは日付変わって午前1時。
その後従姉妹とと当日の打ち合わせをして寝たのが午前2時。
大会を10時間後にひかえ、ようやく就寝につくのだった。
・第2歩 最悪のコンディション
朝6時起床。
毎朝家事をするために早めに起きているので、体が自然と起きてしまったのだ。
習慣とは恐ろしい。
そして太ももと腰に鈍痛が(泣
これは前日、係長(直の上司)の命令で、
日中、イベント用のジャガイモ畑をクワ一本で手入れしたためだ。
もちろん大仕事中なので課長には内緒。係長からの特命であった。
しかしながらと内緒とはいえ、
本来なら2〜3人必要な畑の手入れをたった1人にやらせるのはいかがなものか。
なんとか畑仕事自体は済ませたものの、心配していた足腰の痛みが出てしまった。
今係長が目の前に現われたら、その残り少ない髪の毛を確実に抜いている。
仕方がないので二度寝をして少しばかりでも体を回復させようと試みる。
・・・
・・・・
・・・・・
・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・・ね、眠れない(大泣
結局、大会前の緊張のためか結局は目をつぶって横たわるだけであった。
そして9時起床。
寝不足&筋肉痛のダブルパンチの最悪のコンディション。
果たして完歩できるのか?
・第3歩 あついんですけど
空は快晴。
だがしかし・・・あついんですけど。
なにこの日差しの強さ。
大会当日の気温は30度。
普通に過ごすくらいならちょっと暑いぐらいですむが、
歩くとなったら体に熱が溜まってくるので大きな障害になる。
雨よりはマシではあるが体調不良に加え、新たな心配が増えてしまった。
従姉妹宅からは従姉妹にスタート地点のアルカス佐世保まで送ってもらう。
そういえば長崎弁?で「歩かす」って言葉があるが偶然なのか?
会場に到着するとすでに参加者で溢れ、熱気に包まれていた。
皆気合の入った装備をしており、サポーターまで着けている人もいる。
早速受け付けをすると支給品として帽子・安全灯・たすき(反射テープ)をいただき、
懐中電灯のチェックをうける。電池が入っているところまで確認し、頭に「?」が浮かんだがこの理由は後で知ることになる。
その後、出発までの時間を利用して必要な品を揃えるために買い物へ。
今回の装備品は
・リュック
・登山用ステッキ(ウォーキング用に一部改造)
・タオル2枚
・Tシャツ1枚
・梅干し(暑さ対策、うめかつお味:笑)
・懐中電灯(ヘッドライト)
・エアーサロンパス(ドーピング用:笑)
・キネシオテープ(伸び縮みするテーピング)
・帽子(支給品)
・安全灯(支給品)
・たすき(支給品)
以上。
今回も少なめで食料・水分は道すがら補給する作戦である。
ちなみに従姉妹がキネシオテープのことをうる覚えで「オグシオテープ」と言っていたために、
もはや「オグシオテープ」ととしか思い出せなくなってしまう(笑)
買い物後、炭水化物が多めの昼食をとり、たっぷりの水分を体に補給。
心配な太ももの等の筋肉痛はオグ・・もとい、キネシオテープを貼ることで対策をたてる。
正午のスタートまで後少し。
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集まる猛者たち。 |
・第4歩 せまっ
後に聞いた話では今回の参加者は800人ぐらい。
前回と同じぐらいの人数である。
毎年倍々ゲームのごとく参加者が増えている行橋〜別府と比べると
意外。それとも参加人数を制限しているのだろうか?
そうならば本当に参加できて良かった。感謝感謝である。
「パンッ」
よく晴れた青空の中、乾いた空砲とともにスタートの合図が告げられ、
800人(ぐらい)が一斉にスタート。
ぬりかべも従姉妹に別れを告げるとともに島原での再会を誓い、歩を進めだした。
・・・が、やっぱり混雑(笑
行橋〜別府のようにゲートはないのだが、
もともとの歩道が狭いためにやっぱりごったがえすスタート地点。
さらに報道関係者や見送りもいてよく言えば盛況この上ないことであった(笑
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ごったごたです。 |
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列をなす赤い帽子の集団。 |
10分後。
混雑をぬけ、ようやく自分のペースで歩きはじめたのだが・・・せまい。
とにかく歩道が狭いのである。良くて人二人分。
佐世保市も長崎とおなじく平地が少ないためしょうがないことではあるのだが・・・
結局最後まで歩道のせまさとも戦うこととなるのだがこの時は知るよしもない。
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佐世保名物 ジャパネットタカタスタジオ! |
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歩道はこれでも広いほうです。 |
・第5歩 ペットボトルと梅干がお友達
歩きはじめて2時間が経過。
建物がひしめく佐世保市街を離れ、海が見えてきた。
思わず「うーみー!」と叫びたくなる(おかしい)
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わかりにくいけど、 うーみー! |
ここにきて足もだいぶこなれてきて、感じたことが二つ。
一つはとにかく暑い。
のちに大会経験者に聞いたのだが、最近で一番暑さのきびしい大会ではなかったのかとのこと。
汗は日差しの暑さと歩きによる体の暑さでじっとりと流れ、不快なことこの上ない。
服装も日やけと夜の寒さを防ぐため長袖シャツにジャージなのでさらに暑さがこもっており、
水もすでに1リットルは飲んでいる。
しかし。当人はこの暑さと同じ経験をしていた。
夏場の草刈りである。
長袖長ズボンでやる草刈はまさにがまんくらべ。
そしてそれを夏は毎週末やっていたので・・・慣れてしまった(笑
ここにきて草刈の経験が役に立つとはほとけ様で知らんめぇ。
とはいえ脱水症状および塩分不足による足のつりは怖いので常に水分と塩分をとるように心がける。
そしてもう一つは・・・やっぱり昨日の畑仕事の影響が(泣
太ももには鈍痛。腰も気をつけないとすぐにぎっくり腰になってしまいそうな勢いだ。
今係長が目の前に現われたら、その残り少ない髪の毛を大仏パーマにしている。
そこで影響がでる前に2時間目の休憩時にキネシオテープで補強する。
・第6歩 応 援
大会前、自分の中であるルールを決めていた。
「どんなに調子が良くてもペースを守ること。」
これは前回参加した行橋〜別府の経験からだ。
これは前回、序盤で足腰に無理をかけたために後半に足の痛みが爆発し、
さんざんな目にあったため。
痛みに耐えながらよちよちと歩く顔はまるで鬼瓦だったと思う。
そこで今回は↑のルールの上で「1時間歩いたら必ず足を休ませる」作戦にでる。
今回の105キロは制限時間が24時間。
1時間5キロペースで考えた場合、余裕が3時簡しかなく、
足を痛めてペースを落とすと即リタイヤとなってしまう可能性が高い。
どんなに抜かれようが追いつかれようが最終的にはゴールできれば良いのだ。
初参加初完歩は一度しかできないわけだし。
海岸線に入り、ハウステンボスが見えてきた。
歩きの現実の前に幻想的なハウステンボスの町並。
いますぐ進路をかえて観光したい(現実逃避)
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今日はぬりかべに 夢を与えてくれません。 |
そんなアホなことを考えていると電話が鳴る。
「近くまできたけど・・・ぬりかべくんどこらへんにいる?」
ソフトバレー関係者で長崎でお世話になっているふとしさんだ。
以前、ソフトバレー関係者に「105キロにでる」とふれ回った(後戻りできなくするため)際、
「必ず応援に行くから」と言ってくれて、忙しいさなか来てくれたのだ。
電話を受けたあとハウステンボスの前のホテルの駐車場でふとしさんとおちあう。
ふとしさん、応援だけでなく差し入れ(水と食料など)まで届けてくれた。
本当に有難い。ほんの10分ほどであったがふとしさんと話し、完歩を誓う。
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ふとしさんとのツーショット。 本当にありがとうございました。 |
するとその後、不思議と足取りが軽くなった。
ふとしさんからは差し入れだけでなく元気ももらっていたのだ。
つくづく、長距離ウォーキングは気持ち次第であると気づかされる。
余談:この時、アルカスで別れた従姉妹もわざわざ車で様子も見に来てくれたのだが
話の都合上割愛(ひでぇ)
・第7歩 彼杵はそのぎと読みます
市街地をぬけてからは登り下りの峠道の連続だった。
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小さな登り下りのあと、 長い坂を登り・・・ |
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佐世保脱出! |
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そして見えてきた大村湾 |
しかしながら1時間歩き→10分休憩→1時間歩き→10分休憩を繰り返し、
途中配給(水や食料など)などを受けつつ第@チェックポイントの彼杵に6時着。
計画としては上出来である。
休憩は必ず入れていたので足の速さは時速6キロほどか。
ここで靴をぬぎ、足の熱を冷ます。肉刺ができるのを防ぐためだ。
どうやら肉刺は長時間の熱と圧力でできてしまうものらしい。
これができてしまうと足の裏の痛みで歩きにくくなる→
体のバランスを崩す→関節などの違う部位を痛める→ペースを崩してしまいリタイヤとなってしまいかねない恐ろしいものだ。
これができた時の対処法は
「どんなに痛かろうがフォームを崩さないように歩く。肉刺がつぶれるまであるく。」
・・・ぬりかべ、そこまでMではない。
幸いバレーだこのおかげで肉刺ができにくい足ではあったが念には念を入れて休ませておく。
他、左足のひざが怪しいのでキネシオテープで補強。
すでに右足もテープを貼っているので当人の足はミイラ男の足と化す。
ここで気が付いたのだが、前回と比べて足の疲労が出ていない。
前回よりも足のコンディションが悪いはずなのに。
これは大会前の鍛錬(夜中のジョギング)のおかげか。
正直ここまでくる途中、太ももと腰の鈍痛で「こんな状態で完歩できるのだろうか・・・」と危惧していた。
と、同時に係長の残り少ない髪の毛にどんな復讐をしようかとも(笑
30分休憩をとると、思った以上に足が回復し「これなら完歩できるかもしれない。」と一筋の光を感じて出発。
しかしながらまだ全行程の1/3も進んでいないのであった。
・第8歩 大「村」なのに「市」なんだよね
第Aチェックポイントの大村市に向けて出発。
時刻は6時半をまわり、だんだんとあたりが薄暗くなりだした。
暗くなる前に安全のためヘッドライトおよびたすきを装備。しかしここで問題が。
安全灯をリュックに取り付けようとしたのだが、安全ピンで針を通す以外に取り付け方法がないこと。
これ自体はなんの問題はないのだが、このために立ち止まることがおしかった。
こんなささいなことだが、ペースを崩すのは嫌だ。
とゆうわけで次の休憩時間に取り付けようと考えている矢先、
前方を見ると、帽子の後ろに安全灯を付けているご年配おの方を発見。
なるほどこれなら歩きながら取り付けができる。
で、早速採用。
だがしかし。
この方を抜いてしまうとマネをしたことがバレバレになってしまうわけで、
申し訳ないので次の休憩時間までこの方の後ろに張り付くことにする(今にして思えばなんだかなぁ
後ろからこの二人を見た人は同じ場所に安全灯を付けて同じペースで歩いているのを見て親子かと思ったかもしれない。
スマン。それはぬりかべのせいだ。
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暮れ行く大村湾 |
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こんな風に付けさせていただきました。 |
先述の方のペースはぬりかべにとってとても相性が良かったのか足に負担なく進む。
こうして第Aチェックポイント大村市役所前に到着。
チェックポイントでは夜食としておにぎり、おいなり、果物、パン類が店を買い占めたかのごとく用意されていた。
そして味噌汁までも。これは食いしん坊の当人としてはかなり有難かった。
スタッフのおねーさんが「愛情たっぷりの味噌汁ですよ〜」と言って味噌汁を配っていたので
調子に乗って「愛情いただきます」と言いながら味噌汁をいただく(違う意味で飢えてる
まだまだ余裕はあるらしい。
チェックポイントは休憩者で溢れていたが何とか全身を横倒せるスペースを見つけ、寝転ぶ。
行儀が悪いのを承知で寝転びながら食事し、少しでも足の回復をはかる。
ふと見ると休憩用バスが用意されていた。
行橋〜別府で見た「ゆうわく号」である。
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大村の街を横目にひたすら歩くのみ |
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大村CP。人で溢れてます。 |
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これがゆうわく号。 ここから生きて出てこれた人はいたのだろうか・・・ |
この中で寝ている人たちは出発することができるのだろうか・・・
といらん心配をしながらも30分の休憩の後、出発。
この時点の距離48.9キロ。
・第9歩 伏兵はやはりいた。
次の目的地諫早に向けて歩きだす。ここからはコンビニなどの商店はなく道はまっくら。
時間も11時をまわった。
参加者の間隔もだいぶひらきがでてきており、独りで夜道を歩いている間隔に陥る。寂しいことこの上ない。
ピローン
そんな折、突然のメール。職場のウォーク部の部長イッシーからだ。
こんな時に仲間からの連絡はありがたい。どれどれ・・・
フレーフレーぬりかべ
ウォーク部のエース
100キロウォークを一人で完歩
105キロウォークを一人で完歩
ついでに人生も一人で完歩
部長 デュークイッシー
・・・・うれしいよ、
うれしいけど、腹が立つのはなぜだろう・・・
その直後、ふとしさんから電話が。
「お疲れ様。ぬりかべ君今どこらへん?」
「ちょっと前に大村を出たところです。」
「そうなんだ順調だね。そうそう、そろそろ長い坂にさしかかると思うよ。」
「そうなんで・・・・あぁぁあれですね。」
あまりにもタイミングよく目の前にでてくる長い坂道。
そうここは大里⇔中里間の諫早へ抜ける峠道。
「ここを抜けるとあとは平地だから。あと少し。がんばって!」
佐世保でもう峠道はないだろうと思っていたのでここは辛い。
しかも確実に足に疲労は溜まってきている。
しかしながら坂道の傾斜は思ったほどはなくなんとかのぼり、峠にて休憩。
余談であるが休憩時は足の負担を減らすため靴を脱ぎ、
足は投げ出して座り休憩するようにしていた。
夜、傍目から見たらかなり不気味だったかもしれない。捨てられたマネキンみたく。
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これがぬりかべのスタンダードスタイルの休憩の仕方。 |
・第10歩 「青いうさぎ」はイイよね。
実は深夜帯から朝にかけて携帯プレーヤーで音楽を聴き、ひとりぼっちをしのいでいた。
使用したアルバムは「80〜90年ドラマ主題歌集」たなよしさんからダビングさせてもらったものだ(笑
なかでも歩いている最中に元気がでたのは「青いうさぎ」だった(笑
あとノリの良さでは「SPY」だったが歌詞が痛々しいので却下(わぁ
さて。
峠から下りに入る・・・が、一部歩道のない道(白線のみ)が出てくる。
ここにきてライトのチェックを入念にしていた意味を知る。
なければマジであぶない。
ただでさえ主幹道路なのに深夜帯なのでビュンビュン飛ばしてくる車。
こちらの装備は反射たすきとライトと安全灯のみ。
プロテクターとかエアバックなんてありません。
寝不足による脳の疲れもあってか
「そういえば、不慮の事故の場合、保険がでるんだよな。いくらだったっけ?」
といらんことを考える。
その前に自分の身を守ることに全力を尽くそう。
下りが終わると広い歩道に合流。どうやら諫早市に突入したようだ。
諫早はわりと道路の整備が行き届いており歩道の幅が十分にある。これは有難い。
ただし。足の方がそろそろ限界を訴えだしてきた。
もともと畑仕事の筋肉痛+いままでのウォークの疲労でけっこうな足の痛み。
もちろん、はじめからドーピング(エアーサロンパス)を使っていたがそれに慣れてきたのかだんだんと効かなくなってきた。
こうしてペースはだんだんと落ちていく。
そんな中、ある手段を使用するか使用しないか悩みながら歩いていた。
その悩みとは・・・次の回にて。
第11歩 小さな挫折
悩み・・・それは、ステッキを使うこと。
これは行橋〜別府の時には必需品ではあったが、今回はトレーニングを積んで臨んだ105キロ。
できればこれは非常用で最後まで使わないつもりでいた。
しかし。
前日の筋肉痛にいままでの疲労がによる痛みがプラスされ限界に近づきつつあった。
今、係長が目の前に現れたら・・・・もぉいいや。
実際、万全の状態で歩いていたとして大丈夫だったかと言われたらイエスとは即答できない。
やはり105キロを歩くとゆうことは想像以上であったし、甘いものではなかった。
けれどそうであるからこそ、ステッキはトレーニングを積んで頑張った証として使いたくはない。
もしかすると万全な状態でもかわんないかもしれないし、
実はこのままで最後までいけるかもしれない。
でもそんなことは終わってみなければわからないし、
現にペースは落ち、休憩の時間は伸びている・・・・
そんなとりとめのない思いがぐるぐると頭をかけめぐる。
・・・・そして最後に行き着いた答えが
「今ある手段を使わずにゴールできなければ意味がない。
しかし、せめて次のチェックポイントまで歩いてからスッテキを使おう。」と。
諫早の給水所も足早に通りすぎ、次のチェックポイントの愛野を足の痛みに耐えながら歩く。
時刻は3時をまわり、道路も歩道も人気がない。
参加者の間隔もだいぶ開きが出ていて、遠くにやっと確認できるほどである。
しかし、自分で決めた答えのために何も考えずに歩く、歩く。
そして気の遠くなるような時間を過ごした後愛野のチェックポイント(74.4キロ地点)にようやく到着。
今にして思えばここが一番辛いところだった。
ここで夜食を食べた後、大の字に転がってステッキを組み立てちょっとの休憩。
余談であるが大村をすぎてからは常にチェックポイントに
バナナやアンパンなどの給食があったためコンビニに立ち寄るロスを作らずに助かった。
(お財布にもやさしい)
時刻も四時半になり、さあ立ち上がろうとすると・・・完全に固まっている体(汗
どうやら朝方特有の寒気にやられたらしい。
歩いていて気づかなかったがかなり温度が下がっていたのだ。
スタート時の服装で短パンにTシャツかジャージにロンTか最後まで悩んだが後者にしておいて本当に良かった。
へたをしたら寒さと疲労で筋肉が痙攣をおこしていたかもしれない。
こうして固まった体をゆっくりとストレッチし、ステッキ両手にスタート。
・・・思っていた以上に足の負担が軽減されている。
これならばいける!と希望をもちつつ、小さな挫折がちくりと刺した。
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諫早運動公園前。 105キロ中、最も歩道が良かったところ。 |
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ヘロヘロで着いた愛野CP。 |
第12歩 古部に着いて夜が明けて
実は古部(81.6キロ地点)までの記憶はあまりない。
その前のチェックポイントからの距離が短かった(約7キロ)からだ。
ただ、気づいた頃には夜が明けて古部に到着すると朝日がでていた。
古部はちょうど丘の上になっており、島原湾からの朝日が見える。
佐世保湾→大村湾→島原湾ときて最後の海の眺め。
・・・ずっと見ていると心が洗われる。
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実際の眺めはもっと綺麗です。 |
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そんな古部も足早に出発。 |
ここがゴールだったら泣いていた。それほど感動的だった。
辛い夜の時間を抜けたこともあったが。
ここにきて携帯プレーヤーの電池が切れる(笑)
実はここれまで携帯プレーヤーまともに使ったことがなかったりする。
買って3年目ではじめてそもそもの役割を果たす。
ありがとう。本当にたすかったよ。
(そもそもそんなものをなぜ買ったのか自分に問いたい)
チェック後、芝生に座って休憩していると、
先に休憩していた隣の人ができた肉刺にテーピングをしていた。
やはりここまでくると様々なトラブルが出て当たり前である。
それを考えると歩く前に体調最悪だったわりにはよくもっている。
今、係長が現れたら、その少ない髪の毛に植毛しているかもしれない。
(ぬりかべさんは今、疲労MAXで頭がおもしろいことになっています)
苦しいのはみんないっしょなんだ・・・そんな思いを胸にふたたび立ち上がる。
あと残り25キロ弱。
第13歩 湯江にて従姉妹再び
歩き出して30分後。ふいに強烈な眠気に襲われる。
睡眠不足でここまで眠たくなかったのがどうかしていたのだ。
ここにきて溜まっていたものがやってきた。
しばらくはがまんしていたがどうにもならない眠気。眠気防止ガムを食べてもまったく効かない。
これはいかんな・・・少し寝ないとヤバイ。
そう思っていると道の脇にちょうど寝れる空きコンクリート地のスペースが。
そこに倒れこみ、寝る。
・・
・・・
・・・・どれくらい寝た?
・・・・・このまま寝てたらタイムアップしてしまうぞ。
ヤバイ、寝たら本当にヤバイ。
起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ ! ! !
ガバッ。
タイムアップの恐怖で目が覚める。
・・・どれくらい寝た?
・・・幸い、10分ほどしか寝ていなかった。
心臓に悪い。が、眠気はなんとか取れた。
再びよろよろと歩きだす。
しばらくするとサッカーボールの形をした街灯が見えてきた。
目の前に開けてくる島原の海岸線。
日差しもだんだんと強くなり暖かくなってきた。
そして襲ってくる微妙なアップダウン。
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サッカーボールの街灯 |
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微妙なアップダウンと狭い歩道。 そしてその横をビュンビュンと走る一般車両。 |
ここにきてこれは辛い・・・
と、「おはよう。がんばって。」
道沿いの住民の方から声をかけられる。
今回の大会に出てつくづく思ったのが、沿道ぞいの方達の応援だ。
何年も応援している方もいるらしく、気軽に声をかけてくれる。
これもいままでの歴史を作ってきた105キロの歴史と大会関係者の努力のおかげだろう。
本当に辛い時の応援ほど、救われるものだ。
体は限界だけれども心にチャージできた。そんな時電話が。
「がんばってる?今そっち向かってるよ」
先日見送ってもらった従姉妹(二人)からである。
こんなもの好きな親戚に応援に来てくれるとはこれもありがたい。再び感謝である。
・・・しかし、後に聞いた話では従姉妹(姉)が島原をよく知らなかったらしいので観光を兼ねて来たとのこと。
俺の感動をかえせ(笑
1時間後。
従姉妹側が車よりぬりかべを発見。接触を試みる。
が、本人はペースを崩したくなかったので最終チェックポイント湯江で合流することを希望。
・・・ぬりかべもたいがい薄情かもしれない。
そんなこんなでさらに30分後最終チェックポイント湯江(94.6キロ)に到着。
ようやく従姉妹と合流するのだった。
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最後のチェックポイント。 あとは島原駅前のスタンプと島原城のゴールのみ。 |
従姉妹曰く、ここまでの途中参加者を見てきたが、皆表情が険しかったとのこと。
うん。たしかに。当然だと思う。
つーか、この状況で満面の笑みで歩いている人を見たら尊敬します。
ここでいらない荷物を従姉妹に預けたのだが、
命を助けてくれたステッキまで預けてしまう。
くだらないことかもしれないがここに着くまでに決めていた。
最後の10キロぐらいは自分の足で歩こうと。
第14歩 ウォーキング あ GO GO!
実は自分の覚えている限り島原市中心部に行ったことがない。
行ったことがあるのは多比良港まで。
大学で宮崎に住んでいたころ、ここから出るフェリーにお世話になっていたから。
そういう意味で見たことがない道はいい意味で刺激的だった。
ステッキも捨て、頼りになるのは己の足のみ。
これでリタイヤしても後悔しない。そう覚悟を決めたせいか足取りが幾分軽い。
休憩も短めにすませ、ただひたすら歩く、歩く。
ながゆるい坂を越えて再び海岸線にでる。
だいぶ商店が増えてきた。市街地に入ってきたのか。
そしてふと進行方向から右手に目をやると見えてきたのが雲仙普賢岳。
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うっすらと見えています。 |
「とうとう来たんだな島原に」
・・・佐世保から島原なんて、はじめに知った時は途方もないように聞こえた。
できるんだろうか?と不安にもなった。
でもたしかに島原まで歩いてきている。
ちょっと涙目になった。でも泣くのはまだ早い。
今は制限時間に追われて歩くだけだ。
それから30分も歩くと遠くに見えていた普賢岳もはっきりと姿を現してきた。
周りは完全に市街地。
橋にさしかかると・・・橋の真ん中がせり上がっていたので町並みが一望できる。
そして建物の間からちょっぴりと顔を出す島原城の天守閣。
あそこがゴールだ!
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みっけた! (写真中央の小さい突起) |
第15歩 たどり着いたよおっかさん
橋をおりるとスタッフの方がドリンクの配布をしていた。
その中の人・・・ぬりかべ命名「お菓子屋のお兄さん」もいた。
このお兄さん、佐世保からずっと途中途中でお菓子の配布をおこなっており
よく考えれば寝ずに佐世保から島原まで車を運転して、参加者に配って・・・
・・・もしかしたら105キロ歩くより辛いのでは?
こういう裏方さんがあってこその大会だと思う。
本当にありがとうございました。
すでに足は悲鳴を上げているが前回のように歩けないわけではない。
関節の痛みに耐えながら一歩一歩確実にに歩を進めていく。
ここにきてやっかいなのが市街地の信号待ち。
せっかくのペースが崩されるからだ。
しかし、気合でなんとか乗り切る。てか、ここらへんの記憶もあんまりない(笑
ある記憶は「別府タワーといっしょでゴールが見えてからが遠いな・・・」
まるで歩いても歩いても辿りつかない蜃気楼のような思い。
でもゴールは必ずあるわけだし蜃気楼よりはマシかな・・・
と、考えてながら歩いていると、いつの間にか島原駅に到着。
スタッフの方が迎えてくれる。
「もう少し歩けばゴールですよ〜」
最後のチェック(ここではスタンプ)をしてくれる。その間に島原駅をパチリ。
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余裕はじぇんじぇんありません。 |
「余裕ありますね〜」
と感心されたが、ネタ(この日記)のために取材しているとは死んでも口には出せずはにかみながらスタッフと別れる。
余談ではあるが、写真撮影は105キロを歩く中で良い刺激(気分転換)になったと思う。
ただ、写真撮る時間があったらもう少し早くゴールしてたかも・・・・いや、考えまい。
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島原城じゃぁ〜〜 |
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いよいよゴールです。 |
最後の坂道を登り、ゴールの島原城横の公民館へ。
公民館に着くと先に着いた参加者から拍手を受ける。
なんかわかんないけど色々とありがとうと言いたくなる。
そして目の前にはゴールのゲートが。
−時間:23:21分 503位でゴール−
ゲートで両手を上げてガッツポーズ。
まさに「ヤッタ!!」である。
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やったよ! |
思えば大会を知ってから約半年、色々とあったが完歩とゆう目標を達成できたのである。
大きな達成感と同時に今までの疲労が押し寄せて思わず座りこむ。
そうえいば、携帯の電源切れて従姉妹と連絡とれないんだったな(オイ
どうやって帰ろう・・・それよかしばらく寝よ・・・。
・
・・
・・・
・・・・・
島原の春。
105キロの思い出。
そんなあなたにぎっしり粒あん100%。
お土産に国見銘菓「サッカーストライカー」をどうぞ!
・・・どんだけ長いCMかい
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マジでありますこのお菓子。 |
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丸いサッカーボール型の皮に つぶあん100%! |
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おまけ。 その後、疲れ果てているところを従姉妹に激写されるぬりかべ。 |